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2009年 5月 2日 (土)更新
MacWin王国ブログ

イエス・キリスト生誕 2016年!

 今月の言葉 

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当サイトでは、日本聖書刊行会発行の新改訳聖書から聖書のことばを引用しています。


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◆ 2003.5 

彼ら(律法学者)は重い荷をくくって、人の肩に載せ、
自分はそれに指一本さわろうとはしません。

- 新約聖書 マタイによる福音書23章4節 -

問題解決について−正論の罪−

 正しいことは良いことである。しかし、何が正しいかというとこれは大変難しい問題で、イラク戦争における「正義」のような政治的なことや、企業活動、ビジネスにおいては何が正しいかを議論しても決着が付かず、結局は力関係で決まってしまうようなことになりがちである。

 なぜか。これはそもそも正しいか誤りかを決めるためには、まずその判断基準となる共通のルールがあることが前提条件で、それが無いところで正しさについて扱うことは本質的に無意味なことだからである。

 よって、正しさを追求すると、決まり事を整備していくことや正誤のジャッジをすることに力点が置かれることになり、思考パターンも○か×かという二元論的な発想となってしまいがちである。そして、○か×かの二元論だと、問題解決には無意味な対立関係や責任の所在問題になったり、ジャッジした時点で物事が終わるとか、正しいことが明らかにならない限り行動を起こせなくなるとか、決着をつけるために政治的な大岡裁きがなされるなどロクなことはない。

 つまり、正しさと問題解決は基本的に別問題であり、正しければいろいろな問題が解決するとは言えないということである。問題解決において「こうあるべきだ」といういわゆる正論はどんなに正しく立派であっても基本的に何の役にも立たない。そして、正論を吐く人は大体まじめなので、自分が問題解決を阻害しているということは夢にも思わなかったりする。

 そういうわけで、企業活動において法律やルールで定められていること以外の経営方針や施策、業務をどのように改善していくかということについては、本質的に「正しい正しくない」という概念でなく、実際の問題や課題に基づいて「何がより適切であるか」というアナログ的な概念でとらえるべきである。

 さて、ここで上記の聖書の言葉を見てみよう。これは、民衆に正しさを要求する当時の宗教家(律法学者)を批判したイエス・キリストの言葉である。

 ユダヤ教というのは、極めて厳格な戒律宗教で、神の前で正しくあろうと一生懸命努力をする。そして正しく歩むために生活の細部に至るまで徹底的にルール(聖書では「律法」と呼んでいる)を定めてそれを正しく守ることを大切にする。例を上げると、現代でも正統派ユダヤ教徒は律法に従ってチーズバーガーを食べないし、安息日にはエレベーターのボタンを押すことは禁じられている。そして、このように生活の細部までルールを決めると、ルールの専門家(律法学者)が必要となった。
 この結果、2000年前のイエス・キリストの時代では、ユダヤ教は本質的な神への信仰というより、ルールを如何に徹底的に守るかが重要視されるようになり、律法学者もいろいろな問題を抱える人々に救いや助けを提供すると言うより、宗教的権威をもって民衆に正しく生活することを強要するようになった。

 イエス・キリストは、このような人々が抱えている問題に触れようとせずに正しさだけを要求するユダヤ教の律法学者を批判したのである。

 このように考えると、人間は正しさを最優先で追求してもしょうがないと言うか救いはないと言えるだろう。

 企業活動に限らず、私たちは日々様々な問題を持っているわけだが、正しいかどうかよりも、一つ一つの問題に対して手を汚して地道に解決していくしかなく、指導者、経営者、上司もそうでなければいけない。

 これが、イエス・キリスのメッセージである。

◆ 2003.4 

主はその愛する者を懲らしめ、
受け入れるすべての子にむちを加えられるからである。

- 新約聖書 ヘブル人への手紙12章6節 -

「トヨタ生産方式と聖書に見る現代の生き方−その2」

 4月1日に発足した日本郵政公社は、生産性向上にトヨタ生産方式を導入するべくどこかの局にトヨタの改善マンが入って業務改善に着手しているらしい。今回も前回に引き続き、このトヨタ生産方式について記してみたい。

2.わざと問題を起こす

 普通の人は、問題が起こると困るので問題が起こって欲しくないと思う。また、問題が起こることは悪いことで問題がないところに行きたいと思う人もいる。これは企業においても同様である。しかし、トヨタ生産方式では意図的に問題を起こす思想と仕組みを持っている。トヨタ生産方式においては「問題がないことが問題」なのである。なぜか。具体的な例を見てみよう。
 トヨタ生産方式では在庫(部品)はムダと考えるので在庫を少しずつ減らすということが常に行われている。そうすると一番弱い、あるいはギリギリでやっている工程で在庫切れや作業の遅れ等々の問題が発生する。そうしてわざと問題を起こしてその問題の工程を集中的に改善して問題を解決してしまうのである。トヨタはこれを数十年前からひたすら繰り返しているので、景気が良かろうが悪かろうが、会社の業績が良かろうが悪かろうがそれとは無関係に永遠に成長し続けることができる。そして、改善を進めるためにいわゆるQC活動と言われる小集団活動も含め、様々な制度上の仕掛けが仕組まれている。
 こう書くとそんなものかと思われるかもしれないが、一般的な企業では普通はこの逆のアプローチをする。つまり、問題が起こると困るので、問題が起こったら問題が起こっても生産に支障が出ないように在庫を増やすのである。そうすることで、一見問題は解決したように見えるが、実は解決したのではなく、見えなくなったしまっただけで、結果的には問題が解決しないばかりか棚卸し資産(在庫)を増大させ、総資本経常利益率(=経常利益/総資本×100%)を悪化させ、黒字倒産まっしぐらということになる。バブル崩壊以後、トヨタ自動車以外の企業がどんどん経営が苦しくなっていったのはこの在庫の増大によるキャッシュフローの悪化(つまり財産はあるが支払いする現金が無くなる)によるところが大きい。つまり「問題がないから大丈夫」と思っていたがそれはとんでもない勘違いで問題を隠していたに過ぎなかったわけである。このように問題に対する考え方が違うと、180度違う方向に向かってしまう。

 さて、ここで上記の聖書のことばを見てみよう。ここでは主(創造主)は愛する者、つまり私やあなたのように一人一人の個人に愛のむちを加えると言われている。そしてこの後にはこう記されている。

「霊の父(創造主)は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖(きよ)さにあずからせようとして、懲らしめるのです。すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義のみを結ばせます。- 同12章10〜11節 -」

 つまり、生活をする上で様々な問題が起こり、それは私たち一人一人の成長のためであると言うことである。宗教によっては入信すればあらゆる問題が無くなり幸せになると説くところもあるが、そんなことはあり得ないし詭弁であろう。もしそうなら人間の成長も否定することになるからだ。また、不足があるところに創意工夫があるというのは企業でも日常生活でも同じだろう。

 以上、トヨタ生産方式と聖書から二つのポイントを見ることができる。

  1. 企業だけでなく人生においても問題は成長するための必要条件である。
     問題に対する考え方で私たちの人生の方向は180度変わってしまう。今、あなたが抱えている問題は何であろうか。恐らく様々な問題や苦しみ、中には理不尽とも思える困難を抱えている方もおられるだろう。しかし、それはばちがあたったとか運が悪いのではなくあなたの成長のための必要条件として与えられているのである。一度そのように考え方を変えて、問題をとらえてみよう。
  2. 問題がないこと自体が問題
     問題がないということは、ほとんどの場合自覚していないか、必要なこと(使命)を果たしていないが故のことであることが多い。今、自分の人生における問題を考えて思い当たらない場合、何かが欠けていないかを考えてみよう。恐らく何かに気付くはずである。

 以上のように、二回にわたってトヨタ生産方式と聖書から現代の生き方について考えてみた。まだまだ消化不良の部分もあるが、ご意見等あれば遠慮なく頂きたいと思う。

◆ 2003.3 

神の国とその義をまず第一に求めなさい。
そうすれば、それに加えて、これらの(必要な)ものはすべて与えられます

- 新約聖書 マタイによる福音書6章33節 -

「トヨタ生産方式と聖書に見る現代の生き方−その1」

 この先行きが読めないデフレ不況時に圧倒的な収益力を誇るトヨタ自動車。経常利益を1兆円オーバーという過去最高、前人未踏の域に達している。バブルの時よりはるかに儲かっているわけだが、この強さの秘密は「トヨタ生産方式」にあると言われている。(*1)

 そして、実はこのトヨタ生産方式と聖書にはいくつかの共通点が見られる。そういうわけで2回程度に分けて、両者の共通点から先行き不透明な時代を生き抜く知恵を探ってみたい。

1.必要なものしか持たない

 トヨタ生産方式では「在庫はムダ」と考える。これは今必要なものしか持たないということで、「明日使う」、「いざというとき役に立つ」、「無いよりあった方がよい」物を持つことは全て「悪」とされる。よって、あの膨大な生産量を誇る自動車の生産ラインの横には数時間分の生産に使う部品しかない。しかし、裏を返せば、今、必要な物は全てあることを意味しており、その離れ業を「かんばん方式」という独自手法で実現している。この「ものを持つことが悪」という発想は、普通とは逆なので理解したとしてもなかなか真似することが難しい。普通の企業や作業者はいろいろな問題に対応できるように余分の物を持っておこうとするからである。そして、これは私たち個人についても当てはまるだろう。
 上記の聖書のことばでは、神は私たちに必要なものは全て与えると約束されている。私たちはいろいろ欲しがる者である。欲しがることは自然なことだが、欲しいものと本当に”今、必要なもの”は必ずしも一致しないことに留意すべきである。また、欲しいものが全て手に入ったら幸せなのかというとそうでもないだろう。実は必要なものは自分の好き嫌いに関わらず私たちに「既に与えられている」のである。
 よって、私たちが真に豊かな生活を送るために、両者から二つのポイントを見ることができる。

  1. 欲しいものを追い求めるのではなく自分にとって本当に必要なものを見極める
     そうすることで、必要なことに自分のエネルギーを集中することができるだろう。
  2. 今与えられている物事は全て今の自分にとって必要なことであると信じる
     これは物に限らず、環境やいろいろなことを含めて、イヤなことや困ったことも全て今の自分にとって必要なことであるという視点で見直すことである。そうすることで見えてくるものがあるのではないだろうか。
     神はあなたの人生に良い計画をお持ちで今の環境をあなたに与えておられる。しかし、一つ一つのことをどのように捕らえて歩むかはあなた自身に委ねられているのである。

次回予定、「2.問題は意図的に起こす」


*1 昨今では、不況克服の起死回生の切り札として異業種の保険会社などのサービス業、官公庁まで幅広く「トヨタ生産方式」が広がっている。「なぜ、サービス業や役所に自動車の生産方式を導入?」と、不思議に思われる方もおられるだろう。これは、実はトヨタ生産方式は単なる自動車の作り方とか、方法論やテクニック、手法ではなく「思想」だからである。この「思想」が普遍的なので、異業種であっても適用可能なのである。また、 バブル崩壊後、アメリカから、”リーン生産方式”とか”SCM(サプライチェーンマネージメント)”のような経営手法がもたらされたが、実のところこれらはトヨタ生産方式の焼き直しを逆輸入しているに過ぎない。

◆ 2003.2 

神である主は、人から取ったあばら骨を、一人の女に造り上げた。

- 旧約聖書 創世記2章22節 -

「世界最初のクローン人間」

 昨今、UFOをあがめる(^^;)某新興宗教団体が世界で初めてクローン人間を誕生させたと発表し世間を賑わしているが、科学的調査を拒否しているので大変うそっぽい。詳しく把握していないが、体細胞クローンを実際に行うのは現時点では非常に危険である。成功率は極めて低く寿命も短い、その他様々な問題があるからである。

 ここでクローン技術には大きく2種類あることを触れておこう。一つは受精卵によるクローンである。受精卵からは皮膚、内臓、骨など生物のあらゆる組織を生み出すので技術的には確立しており、自然界では一卵性双生児という形で存在する。余談だが、双子であっても別人格として育つのでゲノムだけが人間を決めるのではないことは分かる。
 もう一つは体細胞クローンである。体細胞とは実際の体を作っている細胞のことで通常、皮膚の細胞はどうころんでも皮膚以外の目とか骨にはなれない。このことから体細胞クローンは不可能だと言われていた。しかし、1996年にイギリスのロスリン研究所で受精卵ではなくて体細胞(乳腺細胞)から初のクローン羊「ドリー」が誕生したので世界は驚いたわけである。

 さて、ここで聖書を見てみよう。上記の聖書の言葉は天地創造後に最初の人、アダムをつくり、アダムの骨からエバ(イブ)を創造した経緯であるが、これはまさか骨を工作して女性を造ったのではないだろう。聖書には詳細は書かれていないが、男性の骨を材料にして女性を造ったという記述からどうやって造ったかを推測することができる。

 まず、骨を材料としたとあるが、骨の骨髄では血液がつくられており、最も活発に細胞を生み出しているところである。また、人間の性を決定する染色体にはXとYの二種類があるが、男(XY)は両方を一つずつ持ち、女性(XX)はX一種類しか持っていない。つまり遺伝子レベルで考えると男の遺伝子から女をつくるのは可能だが、女の遺伝子から男を作ることはできないことがわかる。

 このことから、エバはアダムの骨髄周辺の体細胞の遺伝子から創造された体細胞クローンに近いのではないかと推測できるわけだ。

 ただし、創造主は全能であり、聖書の記述から体細胞クローンと断定はできないので、あくまでも推測であることをご了解下さい。

◆ 2003.1 

人は心に信じて義と認められ、
口で告白して救われるのです。

- 新約聖書 ローマ人への手紙10章10節 -

「言葉とビジネス」

 キリスト教では、言葉が非常に重要視される。

 例えば、ヨハネのの福音書1章1節においては「ことばは神であった。」とあり、聖書の言葉そのものが神と記されている。よって、私たちが神を知りたいなら、神そのものである聖書を読むことである。
 そして、聖書は、重要な局面において「口で告白する」「宣言する」ことを記している。信仰を告白してクリスチャンになるとき、祈りの中で罪を告白して神の赦しを得るとき、また、大きな問題に立ち向かうときに問題に対して勝利を宣言すること、そして、祈りや賛美のように口で言葉を出して神を讃え、信仰と愛を宣言することなどである。
 聖書は、ただ心の中で信じたり、考えたり漠然と思っているのではなく「言葉化」して口に出すことを繰り返し強調している。

 ビジネスにおいて、物事を文書化することは非常に重要である。文書化することでアイデアが広がったり様々なことが見えたり問題点が整理されるので、とにかく口でしゃべったり頭で考えているより、まず書くことである。よって、企業では改善提案制度などを設けていたりするが、これは改善事例やアイデアの共有化などの目的もあるが、私は書くことによってアイデアを具体化することと、アイデアを簡単にまとめる練習を積むことで提案者の問題解決能力を養うことに主眼があると思っている。そういう意味では、改善提案制度が単なる「提案」から「実施済み報告」になってきたことは良いことだと思う。単なる案だと具体化しなくても適当な「願望」を書けるが、実施済み報告だと自分で実行する必要があるから、自ずから具体的な言葉で書くことになるからである。

 「言葉」は思考や物事を具体化する。頭の中を「言葉化」することで、初めて物事は思いつきから整理されたものになり、適切な優先順位を付けた具体的な行動に結びつく。そして、それを人に説明するなど口に出す時、さらに新たな切り口や問題点が見つかったりするので口に出すことも重要である。

 こう考えると、聖書が重要性を示している、口で告白することは、ビジネス上においても重要な普遍的なことであると思う。

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