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イエス・キリスト生誕 2016年!

 今月の言葉(2000年) 

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当サイトでは、日本聖書刊行会発行の新改訳聖書から聖書のことばを引用しています。


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◆ 2000.12 

すべての人を照らすそのまことの光(キリスト)が世に来ようとしていた。
- 聖書(ヨハネの福音書1章9節)-

解 説

 主イエス・キリストは、およそ2000年前のクリスマス(実際の誕生日は不明)にお生まれになった。このイエスさまは、罪と死からの救い主でその救いを信じるだけで、罪と死から解放され、永遠のいのちがあたえられる。
 さてこのイエスさま。よく見ると非常にユニークで、これが私にとってイエスさまを救い主と信じる一つの根拠となっている。少し見てみよう。

  • 誕生が千数百年にわたって旧約聖書で詳細に預言(予言)され、予言通りに生まれ、歩み、死なれた。
  • わずか3年半しか活動しなかったにも関わらず、人類の歴史に最も影響を与えている。
  • 自ら「神、救い主」と宣言して、まともに2000年も信じられてきた人は他にいない。(普通こんなこと言う人は相手にされないし、崇められても2000年も継続しない)
  • 一般に偉人と呼ばれる人は、自分の醜さや弱さに着目するが、イエスさまは一切罪がなかった。そして驚くべき事にそのようなことが広く信じられてきた。

 あと個人的体験としては、祈りは日常的に聞かれるし、めったにないが、オバケが出たとき、聖書の記述通り、イエスさまの御名によって命じると消えちゃうし、やっぱり主イエス様は、偉人じゃなくて、聖書に予言された、救い主なんだなぁと思う。

 そんなわけで、2000年目のメリー・クリスマス!あなたに主の恵みと幸い、救いがありますように。アーメン!

◆ 2000.11 

すべての人を敬いなさい。
- 聖書(ペテロの手紙 第1 2章17節)-

解 説

 これはすごい言葉だ。何と言っても、少なくとも私には絶対できそうもない。しかしこうすれば相手も周りの人も私を敬ってくれるようになるのだろう。尊敬できる人を敬うのは誰にでもできるが、この言葉では何と「すべての人」となっているのだ。厳しいけど最高の道だと思う。
 以前、ある牧師さんが、「愛するというとよく分からない人は、敬うに置き換えてみるとその重みが分かります」と言っておられた。確かにそうだ。私は周りの人を敬ってるやろか? ぼろぼろである。でもできなくてもこれを心がけていくことがとっても大切なんだと思う。
  さぁあなたもわたしも周りの人を敬っていこうではありませんか。

◆ 2000.10 

愛は・・・人のした悪を思わず
- 聖書(コリント人への手紙 第1 13章5節)-

解 説

 この13章は愛の章と言われるところで愛について多くの説明が成されている。
今回は、その中から一つだけ考えてみる。
 「人のした悪を思わず」 これはすごい幸せの秘訣だ。私たちは、自分の過ちなどは気が付かなかったり、忘れたりするのだが、人が自分にしたことは結構よく覚えているものである。根に持ったり、仕返しすることもときにはあるだろう。でも長い人生、いちいち人の悪を覚えていたらそれこそ大変な精神的負担になり、結局自分を不幸にしてしまう。だからスッパリ忘れてしまった方がハッピーである。
 忘れる秘訣は、文字通り「人のした悪を思わない」ことで、そうすれば次第に忘れていく。しかし「思う」とその度に記憶を呼び覚ますのでいつまでも忘れることはない。過ぎ去った過去を忘れて、前向きに歩んでいくには、このように意識的に「思わない」のが秘訣である。
 またそれでは全く腹の虫が治まらないことも、世の中山ほど有る。しかしそれを審判して、裁くのは、全能の神さまのお仕事である。天誅?は、天に任せて、自分はハッピーに、「愛の人」になっていきたいものである。

◆ 2000.9 

自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、
わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。
- 聖書(マタイによる福音書10章39節)-

解 説

 イエス・キリストは、もし信仰ゆえにいのちを失った者には永遠のいのちを与えると約束されている。そして自己保身に走った者はかえってそれを失うと語られている。今日、仕事で、結局、自己保身に走ったらダメだ。自分を捨てて邁進してこそ道が開けるのだという話になり、この聖書の言葉を思い出した。そうだ。意識していないと人間、普通は自己保身に走ってしまう。しかしイエスさまが仰るとおり、自己保身を捨て去るとき、活路が見いだされ、多くの人の信頼を得るのだ。誰が自己保身する人についていくだろうか。やはり捨てるときに、祝福があるのだ。
 そしてその一途に走ることがイエスさまへの信仰であるとき、永遠のいのちまでも頂けるのだ。感謝。

◆ 2000.8 

だれでも自分を高くする者は、低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。
- 聖書(ルカによる福音書14章11節)-

解 説

 これは忘れそうだが重要である。要するに偉そうな人は、見下げられ、必ず落ちる日が来るが、謙遜な人は尊敬を受け、自然と高くされるという当たり前の真理を語っている。そして創造主である神も同様で、謙遜な者に恵みを注いで下さるのだ。相手との関係によって態度を変えるのでなく、常に謙遜でありたいものである。それが真の意味で神と人との前で高くされることになるのだから。

◆ 2000.7 

私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。
- 聖書(詩編16篇8節)-

解 説

 これは、古代イスラエルの王、ダビデ王が詠んだ詩である。ダビデはいかなる困難の中にあっても、目に見えない主なる神を自分の目の前に置くことで多くの困難を乗り越えてきた。私たちは問題に突き当たると、問題が目の前一杯に広がって他のものが見えなくなることがある。しかしこのダビデのように、私たちを創造し、私たちを愛し、私たち一人一人の人生を素晴らしく導いて下さっている主なる神をその問題のただ中見いだそうではないか。そのように目の前に主を置くとき、私たちはいかなる困難の中にあっても希望を失うことはないだろう。悲観的な者に未来はない。しかし根拠無き楽観主義は墓穴を掘る。しかし生ける神に目を向けるとき、私たちはゆるぐことはない。

◆ 2000.6 

この世の取るに足りない者や見下されている者を、神(創造神)は選ばれました。
- 聖書(コリント人への手紙1章28節)-

解 説

 この世は、結構弱肉強食である。勿論それだけでないのが社会や人生の面白いところだが、やはり一般的には強い者、富める者にとって有利であろう。しかしここで創造主は、弱い者にあえて目を留める方であることがはっきり語られている。人間は弱い者である。そして強い者であっても弱さを知る場合がある。しかし私たちを愛して下さっている創造主は、そんな弱い者の味方なのである。自分の弱さ、また敗北感に打ちひしがれるとき、あなたのそばにはあなたを創造し、愛して下さっている神がおられることを覚えて欲しい。

◆ 2000.5 

神の国とその義とをまず第一に求めなさい。
そうすれば、それに加えて、これらのもの(必要なもの)はすべて与えられます。
- 聖書(マタイの福音書6章33節)-

解 説

 聖書は何を食べるか、飲むか、着るかにくよくよするなと語っている。私など生活全般に細々と心配して気を使うところがあるが、この言葉を思い出すとき、「あぁ大丈夫なんだ。」と気が付き、「信じるのでよろしくお願いします。」という祈りをする。そうすると不安から解放され、事実不思議な手段を通して、必要なものが与えられるのを体験する。
 もっとも、この言葉は、「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。」という条件が付いているので、自分がこれに合致しているか確認することが重要だ。厳しいようだが、結局それが自分の幸福として返ってくるのだから幸いである。
 しかし昨今の凶悪犯罪の連発を見ると、本当に今の日本には「神の義」が失われていることを思う。物事には絶対的な善悪があるのだ。しかし今の社会に正義があるようには感じにくい。今こそ私は、幼い子供達に善悪があり、それを守ることがものすごく重要であることを伝えてきたい。(大きくなるとなかなか大変なので。大人は特に)
 ここを読んで下さっている皆様も是非一度、先月のモーセの十戒を読んでみて下さい。ここに普遍的な倫理の基礎が書かれているのですから。

◆ 2000.4.1 

モーセの十戒

  1. わたしの他に、他の神々があってはならない。
  2. 自分のために偶像を造ってはならない。 拝んではならない。仕えてはならない。
  3. 神、主の御名をみだりに唱えてはならない。
  4. 安息日を覚えてこれを聖とせよ。
  5. あなたの父と母を敬え。
  6. 殺してはならない。
  7. 姦淫してはならない。
  8. 盗んではならない。
  9. 隣人に対して偽りの証言をしてはならない。
  10. すべてあなたの隣人のものを欲しがってはならない。

- 聖書(出エジプト記20章)-

解 説

 モーセの十戒は、不変の戒律であるが現代こそこの戒めが必要な時代はないのではないだろうか? 現代は多元主義の時代で、結果として善悪という概念そのものも失われてきている。こんな時代こそ、3000年以上世界を生き抜いてきたオーソドックスな価値基準であるモーセの十戒に立ち返ることが必要だと思う。

◆ 2000.3.1 

互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。
- 聖書(ピリピ人への手紙2章3節)-

解 説

 この言葉は偉大だ。私など愚かだからすぐ自分は偉いと思ってしまう。しかし大体どんな人でも私にはない素晴らしい面を持っているものだ。偉そうにしていてそういう人の面を見ると恥じ入ることになる。やはり相手の価値を見いだして、尊敬すると言うことは素晴らしいことなのだと思う。

◆ 2000.2.1 

義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。
- 聖書(マタイの福音書5章10節)-

解 説

 山崎豊子の「沈まぬ太陽」を読んだ。ものすごい本だった。国策航空会社と政府の恐ろしいまでの癒着、差別、周りを食いつぶして利殖を得る恐ろしい世界、そして正しいことを貫いて潰されてゆく主人公と会社再建に招かれた会長。この本で如何に権力者が金で動いているかが見えた。かつて「倫理、倫理」と政治家のモラルが社会問題化したことがあったが、この本では権力者らが、正しいことをする人を徹底的につぶし、利権を得ていく構図がえぐい程に描かれていた。きっと現在でも同じであろう。
 だからこそ、私は上記の聖書の言葉を宣言したい。そうでなくてはおかしい。

◆ 2000.1.7 

神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。(聖書)
- 聖書(ローマ人への手紙6章23節)-

解 説

 聖書の最大のメッセージは、永遠の命である。信じるだけで死後の恐怖から解放される。人間にとって最大の難題である死について聖書ほどはっきりと解決を宣言しているものはないのではないだろうか?私は死ぬのは怖いが、死後については永遠の命が与えられていることを信じているので恐れはない。あなたもイエス・キリストによって与えられる永遠のいのちを受け入れてみませんか?

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